東日本大震災から9年目…あと1年で10年

皆様、こんにちは。管理人のなっつです。
今日は東日本大震災が起きた日。3.11です。
東日本大震災があった時、福島県に居たというのは、今までの震災の記事でもお話させていただきました。記事の内容が聊か重複してしまう事、お許しください。
2011年3月11日の昼…あの日は母と、うちに来て2か月くらいのヒナのナッツさんとスノさん、それに高齢で持病があった すずさんが居たのでした。震度6弱の長い揺れに、母も文鳥たちもパニックになりました。「ここで自分もパニックになったらどうにもならない!」そう思って、何とか冷静さを保ち、揺れが治まったらすかさずポリタンクなどに水道水を詰め込み、お風呂に水を目一杯張りました。断水に備えるためです。
幸い、ライフラインは大丈夫でしたが、ガソリンは本当に手に入りませんでした。原発事故が起きてしまって、放射能を含んだ雨にも打たれました。かなり被曝してしまったと、今でも思っています。
部屋の中がガチャガチャで、寝る場所もありませんでした。
パイプベッド(ロフトベッド)の下に母や文鳥を寝かせました。シェルター代わりになるかな?と思って。。ベッドの上は、段ボール箱が山積みでした。
自分は押し入れの中で寝ました。押し入れの中の棚の釘が地震で外れかかっていて、危険極まりなかったです。棚が外れたら、命はない。それで死んでも、仕方がないと思っていました。正に極限状態。余震と緊急地震速報でまともに眠れないですし(それは皆さん同じでしょうけど…)テレビでは「ぽぽぽぽーん♪」ばかり。あの頃は本当に精神が変になっていました。
そんな生活が1か月続きました。

それからは紆余曲折。福島県で被災して、(住んでいたのが木造のアパートだった事から危なっかしくて)東京都に引っ越して、家賃が高い事から、また埼玉県の北部の団地へ引っ越したのでした。自分の実家は埼玉県です。しかし、住めませんでした。アル中の父がそこに住んでいたからです。
因みに福島県は母の故郷です。
大地震があった時は比較的冷静だった私ですが、日が経つごとにボディブローのように、精神へダメージが襲い掛かってきたのです。
何年経っても、あの日の事は思い出してしまいます。
精神科クリニックでも先生に相談させていただいていますが、なかなか打開策は見つからず…。時々フラッシュバックが来るのは、もう仕方ないかなと思っています。今も経済的には危なっかしいですが、何とか生きています。
来年は東日本大震災から節目の10年ですね。今は新型肺炎コロナウイルスという国難に直面していますが、皆様、団結して頑張りましょう!
ちょっと今日は処方薬の副作用が更に強く出ていて猛烈に眠くて…頭が混乱していて何を書いているのか分かりませんが(汗)、こんな私ですが、皆様これからも宜しくお願い致します…!
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